ト ラ ン セ ン ド ・ ブ ル ー  ×  ナ イ ト ラ ン ド

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 教室では由美子の作文発表が終わり、再び生徒達の感情の篭っていない無機質な拍手が響き渡る。
 担任の藤澤が一言二言作文の感想を由美子に述べ終わったのと同時に、5限目終業のチャイムが鳴った。

「きりぃーつ・・・」

 日直当番である男子生徒の気だるそうな号令で、揃わない椅子をずる音と共に、生徒達はマリオネットのように立ち上がる。

「 れぇい・・・」

 そしてこうべを垂れた。
 こうして1日に何度も行われる儀式的なあいさつが終わると、生徒達はザワザワと何やら教室から移動し始める。

「はい、みなさーん。6限目は〈 部活祭ぶかつさい 〉の準備の時間になるので、遅刻しないように各自ちゃんと行くんですよー。武術部の生徒は張り切って準備するわよ!」

 藤澤は生徒達にそう言いながら、視線は移動する生徒の中から剣一を探していた。
 藤澤と目が合ってしまった剣一。
 藤澤の目は分かり易いぐらいのアイコンタクトで(ちゃんと部活へ来なさい!)と剣一に訴えていた。
 部活動となる6限目をサボろうと決めていた剣一は、ばつが悪く視線を逸らすと、一人そそくさと教室を後に。
 そんな剣一の態度に肩を落とす藤澤もまた、数人の武術部の生徒達と教室を後にした。

 剣一が通う清が音きよがね中学校は、部活動に対してたいへんな力の入れようだった。
 特に運動部が盛んな学校で、数多くの部が毎年全国大会に出場し優秀な成績を修めている。
 そんな事も手伝ってか、部活祭などという部活動に特化した他校ではまず見られない行事が、学校祭・文化祭などとは別に毎年行われている。
 部活祭では多くの人達に、自分が所属する部の魅力を知って貰い、そして体を動かす喜びを体験して貰おうというのが主な目的だった。

「ねぇ、榊君!」

 廊下を歩いていた剣一は不意に後ろから声を掛けらる。
 剣一は声の主が花宮由美子だとすぐに分かった。

「今日は部活の方に顔を出してくれるよね? 榊君にちょっと剣術を見てもらいたいし、色々と話したい事もあるから」

 由美子の突然の相談に、剣一は一瞬返答に困ってしまいまがらも、何とか気だるそうに答える。

「あぁ、気が向いたら顔出すよ」

 余りにも素っ気無い剣一の態度に、由美子の顔がムスっとする。

「部活に来る気がまるで感じられないんですけどー」

 由美子は剣一の体に接触しそうな距離にまで歩み寄る。

「な、なんだよ!?」

 突然の急接近に剣一はドギマギしてしまい、慌てて話を振った。

「そう言えば新堂って、来年の高校受験の為に塾に行くからって理由で、家の道場を辞めるって聞いたんだけど」

 剣一は実家の道場で小耳に挟んだ話を由美子に確認した。

「そうだよ。でも受験が終わったらまた通うつもりだから!」
「そっか。で、あれからちょっとは上達したのかよ」
「う~ん、どうかなぁ!? 榊君、ぜんぜん部活に顔を出さなくなったでしょ、だからわたしの上達ぶりを見たら驚いちゃうかも!」
「へぇー、そうなんだ」

 やたらと得意げな由美子に、剣一は半信半疑で何とも言えない表情をする。

「わたしがどれだけ上達したのか、榊君のその綺麗な蒼い瞳で見て欲しいなー。なんて思ってみたり?」

 手を後ろに組み上半身と顔を傾けた由美子が、剣一の瞳をマジマジと覗き込む。
 彼女仕草にドギマギさせられっぱなしの剣一は、遂に根負けしてしまうのであった。

「はぁ・・・ 分かったよ。部活に顔出すよ」
「やったぁ。絶対だからね!」

 嫌々ながらも部活動に顔を出す約束をした剣一に、由美子はパッと弾けた笑顔で答えた。
 そんな屈託の無い笑顔に、何やら意を決した様子の剣一は、武道館のある方へと廊下を歩き出していた由美子を呼び止めていた。

「ぁ、あのさぁ!」

 少し上擦った剣一の声に、由美子が歩みを止めて振り返る。

「んっ!? どうかした?」

 剣一の次の言葉を待つ由美子の目は、真っ直ぐに剣一の蒼い目を見詰めていた。

「ぁ、いや、なんでもない・・・」
「・・・そう。じゃあ、武道館で待ってるから!」

 一瞬、がっかりしたような表情を見せた由美子は廊下を小走りに駆けて行く。
 右へ左へとポニーテールに結った髪が可愛らしく揺れている。

 なんでたった一言、胸に秘めている由美子への特別な思いを口に出来ないんだと、剣一はそんな事を思いながら複雑な表情で彼女の走る後ろ姿を眺めていた。
 すると、思いがテレパシーで通じたとでも言うのか、由美子は突然廊下の突き当りで止まると振り返り、ニコリと剣一へ微笑んで見せた。
 窓ガラス越しに差し込む午後の柔らかい陽射しが、微笑む由美子を優しく包み込んでいた。
 それはまるで、女神の微笑みのようだった。

 剣一はその微笑みに一瞬呆気に取られてしまっていた。
 由美子の姿は廊下を突き当たり、曲がり角に消えて行こうとしている。

「・・・花宮!?」

 無意識に名を呼び、剣一は思わず由美子に向かって手を伸ばしていた。
 しかしその手は届くはずもなく、そしてその声も届く事はなかった。
 武道家としての研ぎ澄まされた直感なのだろうか。
 今見た女神の微笑が、自分が目にする最後の由美子の微笑みなんじゃないのかと、剣一は妙な胸騒ぎを感じていた。

 剣一は苦渋に満ちた表情で床を睨みつけ、ギリギリと音がしそうな程に強く歯を食い縛っている。
 実はこの直感から来る胸騒ぎを裏打ちするかのような辛い経験が剣一にはあり、それを廊下の突き当たりに消えて行く由美子の姿を見て思い出してしまったのだ。
 3年前、剣一の目の前で忽然と消えてしまった母親の事を・・・

 余りにも若かった母親は、剣一とは親子と言うよりも本当に姉弟のように仲の良い関係で、実際に周りからも姉弟として見られていた。
 剣一が母親の事を当然のように「母さん」と呼ぶ度に、母親は笑いながらいつも「姉さんでしょ!」と言い直していたが、剣一もそれを笑いながら冗談だと聞き流していた。

 ある日の休日の午後、いつものように日課となっていた剣術の稽古で、母親と共に木刀で素振りをしていた時だった。
 開け放たれた道場の戸口から一陣の風が吹き込み、剣一の頬を激しく叩くようにして撫で行く。
 軽い痛みすら覚えるその風に、剣一は戸口側で素振りをする母親へと目を向けた。
 しかし、そこに母親の姿は無く、乾いた音と共に母親が使っていた木刀が転がっているだけだった。

 必死になって大声で母親を探すも、まるで人智を超えた不可思議な神隠しにでも遭ったのか、母親は忽然として消えてしまい発見する事はとうとう叶わなかった。
 道場の戸口で呆然として空を仰ぐ剣一、今でもその空色を鮮明に覚えている。
 そして、何の因果なのか母親の消えたその日に、母方の祖父が亡くなっていた事を剣一は後で知った。

 廊下で立ち尽くす剣一がゆっくりと顔を上げ、窓の外に広がる空に目を向ける。
 あの日の空も今見ている空のように、強い風が忙しなく雲と言う名の不安を運んで来るような混沌とした空色をしていた。






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