ト ラ ン セ ン ド ・ ブ ル ー  ×  ナ イ ト ラ ン ド

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 蛙剣術、それは人々に妖術・仙術の類だと畏怖の念を抱かせ、妙技として高く評される古代武術の一つである。
 ナイトランド広しと言えども、蛙剣術が扱える者など亜人種と呼ばれる種族に僅かに存在するだけであり、ましてやウェザー騎士団やアークシール超帝国騎士団においては、フロッグマンが唯一である。

 雨粒が雷光で鋭く輝いて見える豪雨の闘技場で、妙技の行方を固唾を呑んで見守る蒼天の騎士隊員一同。
 彼等の視線がフロッグマン一身へと集められていた。

 胸部が大きく肥大する程に息を吸い込んだフロッグマンが、粘着質を伴う白い煙と共にゆっくりと息を吐き出して行く。
 白い煙は生き物のようにうねりながら、密着するようにしてフロッグマンの全身を覆って行った。
 そこに現れた姿は、あたかも煙でかたどられて出来た蝋人形のようである。

 こうして誕生した無機質なフロッグマンの煙の像が、降り頻る雨の中で揺ら揺らとチグハグに霞んで行く。
 白い煙の内側にはフロッグマンの実体は既に存在しておらず、煙はフロッグマンの残像として緩やかに形を崩しながらそこに漂っているのであった。

 そんなフロッグマンの残像が、剣一の間合いの内外を問わずに次々と現れては、雨粒と交じり合うように奇妙に解けて消えて行くを繰り返している。
 次第に出現する残像の数が、消滅して行く残像の数を急速に大きく上回って行った。
 既に数千にまで達しているであろうフロッグマンの残像が、これでもかと言わんばかりに剣一を取り囲んで行く。

 この数千体に及ぶ煙の像に囲まれる剣一はと言えば、微動だにせずに天地清浄流の剣を構えている。
 ただその構えは、攻撃する意思を明確に吐き出した堂々たる上段、炎の構えであった。
 そして剣一の虚ろに光る両の眼は、高速で次々と現れるフロッグマンの残像を追う様にして、上下左右とあらゆる方向へと激しく忙しなく動いている。

「まさかとは思うが、この動きを全て目で追えておるのか!?」

 実体の特定など不可能だと言える無数の煙の像の中から、フロッグマンの声だけが聞こえて来た。
 その声色は驚く事を通り越し、感嘆しているようだ。

 闘技場の端では降り続く雨に打たれながら、この戦いの行く末を伺う蒼天の騎士の1人である、ランブレ・オールディンが徐に口を開いた。

「なぁリンネ。妖精族の目では、あのフロッグマンの動きは捉え切れているのか?」

 ランブレの問いに対して、騎士隊隊付のサッチャン・マグガバイを挟んで隣に立つ女騎士、リンネ・フランネルが険しい表情で答える。

「私の目でも完全には無理。それに、この技の真髄はここから始まる」
「・・・だな」

 リンネの答えにランブレは頷くと、その表情が強く引き締まって行く。
 リンネの言う通り、蛙剣術〈 万躍 〉の真髄が始まった。
 剣一を包囲する白い煙の残像、その静止している残像の中に動き出す残像が現れ始めたのだ。

 動き出したフロッグマンの煙の像の一体が、剣一に向かって猛然と斬り掛かる。
 すると先程まで忙しなく動いていた剣一の眼が、動き出した残像に素早く焦点を合わせると同時に、炎の構えから勢い良く剣を振り下ろし、フロッグマンの残像を縦に真っ二つにして見せた。
 しかし、それはただの白い煙の像、フロッグマンの実体を斬った手応えなどある筈も無く、剣一の手には空を斬った感覚しか残らない。

 剣一が炎の構えから剣を振り下ろした事を合図に、次々と動き出す残像が現れ剣一に襲い掛かって行く。
 自身に襲い来る残像を次々と一刀両断し応戦して行く剣一。

 そんな中で、一体の残像の剣に剣一が応戦した時、確かな物体に対する手応えと共に、鋭い金属音が闘技場に響いた。
 それはまさに剣同士が接触した時に出る金属音であった。
 残像が間髪を入れず剣一に斬り掛かる度に、鋭く重厚な金属音の鳴り響く回数が瞬く間に増えて行き、火花が飛び散る様も確認できた。

 この凄まじい光景に声を漏らす蒼天の騎士隊員の中、この妙技を体感した事のあるリンネが再び口を開くと、聞き耳を立てていたサッチャンが反応する。

「あの動き出した煙の像は、こけおどしなんかじゃない」
「・・・っえ?」
「全ての像にフロッグマン自身が紛れている可能性があるのだから」
「つまりそれって!?」

 リンネに代わり、隣で驚くサッチャンにランブレが答える。

「全ての残像を注視し、全ての動く像に対応しなければならない・・・、と言う事だ」
「そんな事って、可能なんですか!?」
「無理だな。・・・普通では」

 静止している残像、流転する残像を問わずフロッグマンの実体が紛れている以上、剣一は残像の全てに注意を向けなければならなかった。
 しかし余りにも多過ぎる残像の数に対し、剣一の応戦の手が追い付かなくなる事は目に見えていた。
 応戦仕切れない残像の刃が、一振り二振りと剣一の身を切り刻んで行く。
 そして溢れ返る白い煙の像は、剣一の視界を遮る煙幕の役割も果たしていた。

 この圧倒的に不利な状況に置いて、普通の剣士はもちろんの事、例え達人と呼ばれる剣士でさえも形勢を覆す事など不可能であり、もはや誰の目から見ても勝負は決している・・・ 筈だった!?

『・・・・・・!?』

 人は余りにも不可思議な現象を前にしては、驚きの声すらも出す事が出来ない。
 それは此処に居合わせる蒼天の騎士達においても例外ではなかった。

 剣一が剣を振るう度に、白い煙の像が空間の裂け目にでも吸い込まれるように次々と消えて無くなって行くではないか。
 フロッグマンは自身の妙技に、これまた妙技で剣一に返され驚嘆し声を漏らす。

「やはりこやつの剣、まさかとは思うたが〈 大気 〉を斬っておるのか!?」

 明らかに警戒心を持ったフロッグマンの声が続く。

「先程の瞬間的な間合いの詰め方といい、今のこの残像の消し方から推測するに、大気を斬り裂く深度さえも加減できるようじゃな・・・」

 戸惑う事など許されないこの状況下、フロッグマンは即座に腹を決めるのである。

「ならば、これでどうじゃ!」

 360度、隙間無く円状に剣一を取り囲む多数の残像が、一斉に剣一へと剣を振り下ろす。
 剣一は上体を右に捻りながら、自らの腕で視界を閉ざしてしまうような形で剣を持つ左腕を大きく引いた。
 数字で表すのなら最小の単位であろう一瞬の間が訪れる。
 その一瞬で作り出した溜めが、剣一の爆発的な回転運動の起爆剤となった。
 左足を軸として何度も円を描く光の閃、旋風の斬撃がフロッグマンの残像を薙ぎ払うようにして消し去って行く。
 この様子に実体無きフロッグマンが歓喜の声を上げるのである。

「この渇ききった筈の老兵の血肉が、沸き踊って来るようだわ!」

 縦横無尽に跳躍し飛び交い、怒涛の攻撃を剣一へと仕掛けるフロッグマンの白い煙の像。
 その残像の群れの数は数万体にまで膨れ上がり、今にも闘技場から溢れ出てしまうような勢いであった。

「この技を破った者は今までに2人おる。童! 見事、3人目となって見せい!」

 密集する白い煙の残像が、ドーム状に弾幕となって剣一を完全に包囲し逃げ場を奪い去って行く。
 無限に誕生するのではないかと思えるフロッグマンの残像を、無意識の中で斬っては千切り消滅させて行く剣一。
 実戦において披露される途方も無く、そして尋常成らざる剣の舞が、剣一とフロッグマンによって雷雨の闘技場で繰り広げられている。

 そんな狂気に満ちた剣舞の最中、どうした事か剣一は、残像の存在しない空間へと躊躇する事無く剣を振るうのである。
 これが明暗を分ける一太刀となった。
 剣一の剣が振り下ろされる丁度その位置に、フロッグマンの残像が唐突に現れたのだ!?
 まるで図った様なタイミングは、完全にして完璧とも言えるものだった。
 フロッグマンの実体を確実に斬ったという手応えが、剣一の持つ剣に伝わる。

 遂に剣一に捉えられた白い煙で出来たフロッグマンの残像、その胸元をくれないがじんわりと侵食して行く。
 傷を負ったであろうフロッグマンの実体は、像の内側から何やら満足気に剣一へと声を掛けるのである。

「お主、名は何とう?」
「・・・榊・・・・・・、剣・・・一」

 なんと意識を失っていたはずの剣一が、今にも消え入るような途切れ途切れの擦れた声で、自らの名前を答えたのだ。

「剣の特性を生かし、ワシをこの位置に誘い込んだんじゃな」
「・・・・・・」
「見事じゃった。そして童、・・・いや、剣坊。お主が3人目じゃよ」
「・・・・・・」

 まだ魂を天地清浄流の剣に支配され、意識が朦朧としている剣一には、フロッグマンの言葉の意味など分かるはずもなく、その言葉が耳に届いているかさえ曖昧な状態だった。
 そんな剣一を労わる様にして、フロッグマンの声が剣一の耳を撫でて行く。

「剣坊や、もうしばらく休んでお・・・れ・・・」

 フロッグマンの言葉が終わり切るよりも速く、紅に染まって行く残像を突き破り剣一へと向かって何かが伸びて来た。
 千切れた白い煙を纏うようにして現れたのは、フロッグマンの物ではない人間の手である。
 その手は迷うことなく剣一の左手首を掴み捻り上げ、天地清浄流の剣の矛先を地面へ向けると、剣の柄の先端であるかしらに手を宛がい、そのまま勢い良く剣を大地へと深々と突き立てた。

 剣一は自らの足元に視線を移しながら、そろりとこうべを垂れる。
 視界に飛び込んで来たのは、優雅になびく美しい金色の髪。
 しかし突然に視界が揺らぐと、その金色は瞬きする間も無く灰色へと変貌して行った。
 剣一の懐に広がるモノクロの世界。
 その世界には、強烈な左掌ていを剣一の胸部へと打ち込む、バネッサ・アークシールの姿があった。







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