ト ラ ン セ ン ド ・ ブ ル ー  ×  ナ イ ト ラ ン ド

0 1 1



 剣一の前に忽然こつぜんと立ちはだかる漆黒鎧の男。
 その表情は兜に覆われている為に感情を読み取る事は出来ないが、兜の奥の目は世界の全てを焼き尽くさんとする業火のような光を放っている。

「小僧、拾った命を粗末にするな」

 漆黒鎧の男に睨まれた剣一は金縛りにでも掛かったように、一歩足りとも動く事が出来きなかった。
 それは絶対的な捕食者を前にした動物的な本能、蛇に睨まれた蛙の気持ちを思う剣一だったが、ここで立ち止まる訳には行かない。
 由美子を必ず救い出すという一心で、剣一はゆっくりと呼吸を整えると再び歩を進める。

「見事な胆力。だが我は、粗末にするなと言った」

 語気を強める漆黒鎧の男から、強い風が吹き付けてくるように気流が剣一の全身にぶち当たって来る。
 それはまるで重力を帯びた風、大気が震える程の異常な重圧が容赦なく剣一を襲った。
 剣一が未だかつて体感をした事がない大気の圧力。
 その重圧の前にしては歩を進めるどころか、立ち続ける事もままならず剣一は床に両膝を付いた。
 尋常ではない重圧に晒される中、剣一の目には大男に首を掴まれ宙釣りにされている由美子の姿が映っていた。
 由美子の目にもまた、自分の事を必死に救い出そうと戦う剣一の姿が映っている。
 悲しそうに力無く剣一を見詰めるその瞳からは、涙が溢れ頬を伝っていた。

「ぐっ、く、そ、ぉ、、、」

 全身を強烈に締め上げる重圧、剣一は酸欠している魚のように口をパクパクとさせるだけで上手く言葉が出て来ない。
 そんな剣一の哀れな姿に目を向ける大男が、由美子に皮肉な言葉を浴びせる。

「フッ、お前を助けに来た王子様もあの様だ!」

 そう言うと右手で掴んでいた由美子の首から手を放した。
 大男から解放される由美子が静かに床へと滑り落ちて行く。
 剣一の目にはその光景が儚く散る花びらのように、スローモーションでもかかったかのように映った。
 そして由美子を解放した大男は、この場で何事も無かったかのよう時空の穴へと消えて行った。

 ぐったりと床に伏す由美子の姿を剣一は凝視していた。
 剣一の心臓が張り裂けんばかりに鼓動する。
 怒りの感情を遥かに超え、今まで感じた事の無いどす黒い憎悪の感情が、剣一の中で静かに産声を上げた。

「・・・ぐっ、・・・ぐぅ、・・・ぐぉ」

 剣一は漆黒鎧の男の重圧で硬直し、錆付いて動かなくなった機械のような体を動かそうと、砕けそうになる程に歯を食いしばった。
 歯はギリギリと音を立て、歯茎からの出血が口の端から床に滴り落ちる。
 そして剣一の体の至る箇所では、筋が切れたようにぜるような鈍い音が聞こえて来る。
 極度の力みによって皮膚に近い毛細血管が破裂しているのだ。
 剣一の着る白いシャツが見る見る内に真っ赤に染まって行った。

「ぐぅ、ぅウオォーーー!!」

 剣一は獣のような叫び声を上げながら、漆黒鎧の男の尋常ならざる重圧に抗い立ち上がる。
 剣一の叫びは、命を削ったように発した魂からの叫びだった。
 その叫びが武道場中に木霊すと、床で何かがカタカタと揺れ出した。
 それは剣一の魂からの叫びに呼応するかのように、床に突き刺さる天地清浄流の剣が激しく震え出したものだった。
 そして剣にある楕円掛かったつばの淵が不気味に輝き出すのである。

「まさか剣に封印術ふういんじゅつが施されているのか」

 輝きを放つ剣に注目し呟く漆黒鎧の男の声色には驚きが見え隠れした。

 揺ら揺らと不気味に輝く赤紫色の光は次第に強くなり剣全体を覆う。
 すると文字のように見える何かが無数に浮かび上がり列を作ると、剣の周りを螺旋状に回転し始めた。

 顔を覆う兜のせいで表情を確認する事が出来ない漆黒鎧の男だが、回転する文字を目にした途端に僅かに動揺したのを剣一は肌で感じ取った。
 しかしそんな動揺は瞬く間に消えて無くなるのであった。

「小僧、残念だったな。この剣には一度封印したら最後、解印式かいいんしきの存在しない
閻魔印えんまいん 〉が施されている」
「・・・!?」

 剣一には漆黒鎧の男の言っている事の意味がまるで理解出来なかった。
 いや、理解しようとする気など更々なかった。
 今の剣一の頭には由美子を救い出すという事以外にないのだ。
 漆黒鎧の男が放っている凄まじく強力な、磁石の同極同士が反発するような重圧の中で、剣一は真っ直ぐに由美子へ向かって一歩一歩と歩を進める。

「来いっ!」

 何故だかは分からない。
 剣一は無意識の内に天地清浄流の剣に対し、気迫を込めてそう叫んでいた。
 すると剣一の呼び掛けに反応するかのように、剣の周りに浮かび回転している文字が、砂塵のようにサラサラと風にあおられるようにして流れて消えて行く。
 そして剣を覆っている赤紫色の光が一気に弾け飛ぶのだった。

 いつの間にだろう。
 剣一の右手には天地清浄流の剣が握られている。

 以前、剣一が自宅の道場でこの剣を持った時には、その余りの重さに只持つ事でさえやっとだった。
 しかし今は羽毛で出来ているのではないかと感じる程に嘘のように軽かった。
 まさに肉体の一部であるかのように重さを感じなかったのである。

「面白い。解印不可とされる封印術を強引に解印するなど、未だかつて観た事も聴いた事もない。まさか冥府を掌る閻魔の力を破るとはな」

 漆黒鎧の男がそう言っている間に、剣一は自らの剣術の間合いを詰める。
 そして剣一の必殺の間合い入った。
 剣一は体中に走る痛みを必死に堪えながら重圧に抗い剣を胸の高さで構える。
 右腕を軽く伸ばし剣の切先を相手へと向けるその構えは、何処と無くフェンシングの構えにも似ている。
 これが清浄流剣術において最速の構え〈 風の構え 〉である。
 風の構えには待機時間がない。
 構えが整った瞬間に繰り出される必殺の突き技なのである。

 剣一は漆黒鎧の男の喉元へ目掛けて一足飛びに突きを繰り出す。
 爆発的に蹴り出された軸足から、剣の切先へと瞬く間に力が伝導して行く。
 まさに疾風迅雷の如き突き。
 しかし喉元に突き刺した筈の剣の切先は、虚しく空に吸い込まれるだけであった。
 漆黒鎧の男の姿は瞬間移動でもしたかのように、剣一の間合いの遥か外に在った。

脆弱ぜいじゃくたる世界に生まれ落ちた者が、よくぞ我が総気そうきに抗う力を持ち得た」

 時空の穴の前に立つ漆黒鎧の男、兜の奥に光る目が剣一と手にする剣に向けられていた。
 漆黒鎧の男の顔からピキリという乾いた音が聞こえて来る。
 喉元から額にかけて兜に大きく亀裂が走った。
 剣一の繰り出した剣の切先は僅かながらに届いていたのだ。

「小僧、我は真世界しんせかいにて待つ」

 漆黒鎧の男はそう言い残すと歪む時空の穴の中へと消えて行った。

 ここで起きた出来事はいったい何だったのだろうか。
 剣一の思考は少し混乱していたが体中の激しい痛みが、今までの出来事が紛れも無い現実だと教えてくれていた。
 そして由美子の姿が剣一の蒼い瞳に映り込む。

「・・・花宮!」

 剣一が激しく傷付いた体を引きずって、床に倒れている由美子の元へ向おうとしたその時、再び激しい揺れが武道館を襲う。
 また地震が来たのだろうか。
 由美子の元へ歩み寄ろうとする剣一の足を震動が執拗に拒む。
 負傷により踏ん張りの利かなくなった剣一の体は、激しい揺れにぐらつきその場に倒れ込んでしまう。
 地面からと言うよりも大気そのものによる揺れは、一向に収まる事無く次第に強さを増して行く。
 負傷がなくても立っていられない激しい揺れの中、剣一は床を這うようにして由美子の元へと進んだ。

 際限なく強さを増して行く揺れに、武道館内にある窓ガラスは余す事無く砕け散り、壁や天井も次々と崩れ落ちて瓦礫と化して行く。
 剣一がもう少しで由美子の元へ辿り着く所まで這って来た時、バチバチと火花が飛ぶような電気がショートしたような音があちらこちらで響き渡る。
 音は次第に、大気中に存在するあらゆる原子が炸裂しているような激しく鋭い音に変わって行き、辺りは除々に異常なまでに眩い光に覆われて行った。
 やっとの思いで伸ばした剣一の血で汚れた指が、由美子の透き通るような白い指に触れる。

「花宮!」

 剣一の呼び掛けと触れた指に気付いたのか、由美子の手が剣一の手を求めて彷徨う。

「・・・榊、君」

 由美子は顔を上げ、剣一の蒼い瞳を見詰めながら小さく呟いた。

 眩いばかりの光が視力を奪うように強くなって行く。
 もう剣一と由美子の目にはお互いが映ってはいなかった。
 急速に世界が猛烈な光に包まれて行く。

「ゥウ、ワァーーーー!!」

 剣一は喉が潰れてしまう程に力の限り叫んだ。
 体の中の奥底にある魂からの叫びは、消え行く世界に、虚しく響く最後の慟哭。
 剣一はこの時、闇よりも暗い光がある事を知った。
 闇ではなく光の中にこそ無がある事を知った。
 そして、その光という名の無の中に、剣一が生きた、剣一の全てだった世界が、消えて行った・・・






010  目次  012




2001-2020 © DIGITALGIA

当ウェブサイトに掲載されている画像・文章など、著作物の転載・複製・改変などの一切を禁止しています。