ト ラ ン セ ン ド ・ ブ ル ー  ×  ナ イ ト ラ ン ド

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 剣一と橋本は足を負傷した谷口を両側から支えながら、すっかり荒れ果ててしまった憩いの林を通り抜けようと、校庭を目指し寄り添うように歩いていた。
 憩いの林から校庭へ抜ける人影はほとんど無く、辺りは憩いとは程遠い不気味な静けさに包まれていた。
 しかしそんな静けさも、一人の女性の尋常成らざる甲高い悲鳴により掻き消される事となった。
 ただ事ではないと思わせる人間よりも獣に近い悲鳴に、剣一達3人の身が強張った。

「・・・何、今の悲鳴!?」
 
 今はすっかり泣き止んでいた谷口が、オロオロとしながら剣一と橋本の顔を交互に見やる。
 すると突然、倒れた木々が積み重なる間を縫って、1人の女子生徒が勢いよく3人の目の前に飛び出して来て転倒した。
 何かに怯えながら泣きじゃくる女子生徒の顔には、今の転倒のせいではない擦り傷が幾つか見られた。
 3人はそんな女子生徒の姿を見て、顔の擦り傷以上に驚かされるのであった。
 それは女子生徒の上着が引き千切られたかのように酷く破け、下着を覗かせていたのだ。
 その姿を見た剣一は慌てて自分の学生服を脱ぐと、倒れ込みガクガクと震える女子生徒に学生服をそっと羽織らせてあげた。

「大丈夫かい?」と声を掛ける剣一に、女子生徒は無我夢中な様子で足にしがみ付いて来た。

「助けて! 変な男に突然襲われて!」

 剣一は必死に訴えかける女子生徒の姿を見て、いったい彼女の身に何があったのかを想像する事は難しくはなかった。

「もう安心だから」

 剣一は少しでも女子生徒を落ち着かせようと優しく声を掛ける。

「俺達と一緒に校庭へ行こう!」と橋本が女子生徒に言った。

「剣一と一緒なら誰が襲って来ても平気だぜ!」

 さっきまでオロオロしていた谷口もどこへやら、女子生徒にそう声を掛ける。

 そんな3人の存在に気を落ち付けたのか、女子生徒の顔に少し安堵感が見られた。
 そして改めて、自分がしがみ付く足の持ち主の顔を、マジマジと覗き込むように見る。

「あっ!? 榊先輩!」

 女子生徒が驚いたように剣一の苗字を呼んだ。
 剣一の家柄のせいもあるだろうし、去年の部活祭で武術部を通して知ったのかもしれない。
 この学校ではかなりの有名人となっている剣一の事を、この女子生徒が知っていても何ら不思議ではなかった。

 剣一は女子生徒が少しは落ち着いたと見て、4人で改めて校庭へ向かおうと、しゃがんでいる女子生徒の腕を取り立たせる。
 とその時、先ほど女子生徒が飛び出して来た場所から一人の男が、倒れている木々の枝を蹴散らしながら乱暴に現れた。
 男は身長が180センチ以上はあるだろうか、体格はガッチリとした感じだが脂肪の割合が多そうである。
 そして男の右手には、刺されたら致命傷は免れないであろう刃渡り20センチ程の出刃包丁が握られていた。
 男は剣一達3人の事を気にする様子もなく、嫌らしい目付きで女子生徒を舐め回すように見ている。
 誰がどう見ても女子生徒を襲ったのはこの男だとすぐに分かった。
 男を見た女子生徒は再び震え出し、剣一の後ろにサッと身を隠す。

「へっへっへ、見ぃー付けぇたぁ!?」

 表情も下品ならその声も下品な男が、4人に向かってゆっくりと不敵に近付いて来る。
 もちろん凶器である出刃包丁を持っている事もあるだろうが、大人に比べれば中学生などまだまだ非力だと舐めているのだろう。

「剣一、あいつあんなにでかい包丁持ってるぜ」

 谷口が心配そうに剣一を見るが、剣一は至って無表情で答えた。

「あんな玩具おもちゃ、どうって事ないよ!」

 普段は温厚な性格の剣一の語気に、怒りが見え隠れしている。
 男の進行を拒むように立ちはだかる剣一の蒼い瞳が、静かに男を見据えていた。
 男は剣一の静かなる気迫に気圧され、目に見えて動揺するのであった。

「なんだぁ、お前はぁ!? 大人のお楽しみの邪魔するんじゃねぇよ! このクソガキがァーー!」

 男は悪態を付くと出刃包丁を大きく振りかぶり、剣一を目掛けて躊躇なく振り下ろして来た。
 剣一は振り下ろされる包丁を難無くかわしながら、男の右側へと素早く身を移す。
 身を移すと同時に、剣一は振り下ろされて来る包丁を持つ男の右手の力を利用して、自身の怪我をしていない右手を男の右手に添え、くるりと円を描くように軽く力を込めた。
 男は振り下ろされる自分の腕の慣性に従い、そして剣一の当てた右手の円を描く誘導に従って、その巨体が操り人形のように軽々と宙を回るのであった。
 が、剣一の攻撃はまだここでは終わらない。
 宙を回る男の体が1回転しようと仰向けの状態になった瞬間に、剣一は右手を男の胸に当てるとそのまま勢いよく地面へと背中から叩き付けた。
 辺りにドスンと男が地面に叩き付けられる音と、ピキピキと小枝のように数本の肋骨が折れる音が響く。

「グッ・・・ ワハァ」

 男は呻き声にもならない声を出すと、口から血の混じった泡を吹きながら気を失ってしまった。

 この一瞬の攻防を離れて見ていた3人は、目を丸くし驚きを隠せないでいた。

「す、すげぇーー!」

 谷口は相変わらずいつものように派手に驚いてみせた。

 女子生徒は自分が襲われていた事も忘れたのか「その人、死んじゃったの?」と、男の事を心配している。

「片手しか使わなかったし、随分と力を抜いたから間違っても死にはしないよ」

 剣一はやれやれといった表情でそう答えた。

 それにしても遂に、剣一が一番心配していた事が起きた。
 この大規模な災害による治安の低下は避けられない。
 強盗、強姦だけでなくあらゆる犯罪が今後ますます溢れ出すに違いなかった。

 所詮人間など今ここで伸びているこの男のように、普段はたった一本の細い糸で理性が保たれている。
 災害でなくてもちょっとした事でそんな細い糸は簡単に切れ、押さえ込まれていた欲望が剥き出しに表に現れる。
 昨日きのう街ですれ違った者が、今日は自分の命を脅かす存在となる。
 そんな世界で人々は毎日を何気なく過ごしているのだ。

 男をやり過ごした剣一達4人は憩いの林を通り抜け、やっと校庭が視界に入る所までやって来た。
 ここまで来ると、校庭に避難している大勢の生徒達のざわつく声が耳に入って来る。

 黙々と歩く4人、何気なく橋本が口を開き先程の攻防の質問をして来た。

「剣一、さっきのイカレ野郎を倒した技って難しいのか?」
「ぜんぜん。慣れは必要だろうけど、あんなの体術の初歩だよ」
「あれで初歩なのかよ・・・」

 剣一のサラリとした答えに橋本はただ驚いていた。

「でもさぁ、あれが初歩なら奥義なんてとんでもなく凄いんじゃねぇーの?」

 そんな谷口の素朴な疑問に、剣一はふと過去の出来事を思い出した。
 そう、奥義なんてものは人の領域を遥かに越えた、とんでもないものだったという事を。






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