ト ラ ン セ ン ド ・ ブ ル ー  ×  ナ イ ト ラ ン ド

0 0 1



 大気の澄みきった今宵の天空において、満月と叢雲による美しい競演が数多の星々を従えて絶え間なく繰り広げられている。
 群雲の隙間から月が姿を現せば、その冷たくも柔らかい光は、ナイトランドに在る深山幽谷に広がる鬱蒼とした森を幻想的に照らし出していた。

 密集する木々の葉や枝の間から射し込む幾筋もの満月の光が、大地にぐったりと弱々しく横たわる一つの生命体を優しく包み込んでいる。
 目を強く瞑り横たわるその生命体の正体とは、金剛石ダイヤモンドと同等以上の硬度を誇る鱗に覆われた天翔ける孤高の種族。
 途方も無く広大なナイトランドにおいても、余り人の目に触れること無い神秘の生命体。

 それが〈 ドラゴン 〉である。

 人語はもちろんの事、強大な力と道術を操り、太古の記憶を継承する絶対的な存在は、様々な人種族を超え畏れ崇められていた。
 まさにドラゴンとは生ける伝説であり、世界中で信仰されるあらゆる神々と等しき存在なのである。

 伝説上では数百メートルと言うさながら戦艦のように巨大なドラゴンも存在するようだが、此処に横たわるドラゴンは体長が1メートル程という随分と小さいものであった。
 この白よりも深く透明に輝く鱗を纏ったドラゴンは、まだ幼竜なのだろうか、それともこの大きさで成竜なのだろうか、今はまだ知る由もない。

 ドラゴンがすっかりと弱り切っている原因は、体中に激しく刻まれている深い傷のせいもあるのだろう。
 周囲の景色を吸収して反射する水晶のように煌く鱗の隙間から、赤く輝く鮮血が滴り落ちている。
 体の部位によっては鱗が砕けたように剥がれ、その下で盛り上がる逞しい筋肉が顕わになっていた。

 そんな大そうな深手を負ったドラゴンが、淡々とまるで事務的に呟くのであった。

「やむを得なかったとは言え、壁に大半の力を持って行かれたか・・・」

 ドラゴンにも性別はあるのだろうか、恐ろしい程に澄んだ女性を思わせる声色である。
 ドラゴンは瞑っていた目をゆっくりと開いて行くと、今度は口には出さずに頭の中で思考を巡らせるのであった。

(まさか魔鬼オーガの進化がこれ程までとは。個体に寄っては〈 エイリアの壁 〉を安々と超えられるなど、わたしの知識の外の領分ではないか)

 自身の頭の中での呟きに少しは感化されたのだろうか、ドラゴンの鋭い眼光に輝きが増して行く。

(いや、それよりも魔鬼が機巧種きこうしゅに対し、悪しき触手を伸ばしている事を危惧すべきか。大半の力を失っているとは言え、わたしの強固な体にこれ程の傷を負わせるとは、あの魔鬼・・・)

 怒りに震えるでもなく、悔恨の念にかられるでもなく、飽くまでも無表情を貫くドラゴンの口が大きく開かれる。

「無数の怪魔鬼かいまきを従えていたのが、別種である霊魔鬼れいまきの最高位に座す〈 スペクトル 〉とはな・・・ いったい、何が起きている」

 その口から発せられた言葉には、僅かながらの驚きの感情が見え隠れしているのであった。

「っん!?」突然に何かの気配に感付くドラゴン。

 ドラゴンの声が月明かりの森に消えて行くのを待っていたのかのように、ドラゴンを取り囲むように生い茂る藪が、ガサガサと音を立て始める。
 その雑音の中には、人間の荒い息の音も混じっていた。
 ドラゴンは警戒するように押し黙り、藪の揺れる自身の真正面を注視している。

 ・・・・・・!?

 藪の中から勢い良く前のめりで飛び出して来たのは、1人の傷だらけでボロボロな姿の人間の少年であった。
 そして、少年を追い廻す様な形で、3体の魔鬼も続いてドラゴンの前に姿を現すのである。

 藪から勢い余って飛び出した少年は、前方に一回り転がり顔を上げると、目の中に飛び込んで来たドラゴンの姿に、唖然とした表情を浮かべるのであった。
 ドラゴンの冷たく鋭い瞳の中に、唖然とする少年の姿が映し出されている。

「どうしてか、わたしの姿が見えているようだな」

 姿だけでなく、ドラゴンの声もハッキリと少年の耳に届いていた。
 そんな少年の酷く傷付いた姿に、再びドラゴンが呟くように言葉を発するのである。

「こうして魔鬼に追われる様など、 フッ、フフフ・・・」

 ドラゴンの口元が、感情の伴わない笑いを堪えるようにして、大きく歪んで行く。
 そして、ドラゴンの声が真っ直ぐに、少年へと向けられるのであった。

「人間の子よ。わたしと、同じではないか」

 これが、ただの人種族の一つである人間の少年と、神々と並ぶ孤高の種族であるドラゴンとの初めての出会い。
 余りにも掛け離れた存在である2つの種族の邂逅であった。

              ・
              ・
              ・
              ・
              ・
              ・

 アークシール超帝国は帝都アクシルから遥か東方の辺境の地に、ウェザーの騎士を背に乗せた8騎の馬機バキと呼ばれる馬の姿があった。
 馬機が軽快に歩を進めているのは、高さ20センチ程の随分と背丈の短い木々が生い茂る野原、ナイトランドでは良く見掛けられる草原ならぬ木原もくげん地帯である。

 手綱を手にし馬機に跨るウェザーの騎士達から数キロ先には、人口数万人という大規模なスラム街が広がっている。
 どうやら騎士一行の目的地はそのスラム街のようなのだが、既に不穏な空気は騎士達の肌に伝わっていた。

 不穏は目視出来る程に明らかなものであった。
 スラム街のあちらこちらでは、まるで悪魔が手招きをしているかのように、不吉なドス黒い煙が上がっている。
 そしてその黒煙は、場違いな程に雲一つ見当たらない真っ青な空へと、不気味に揺らぎながらと飲み込まれて行くのであった。






ト ラ ン セ ン ド ・ ブ ル ー  ×  ナ イ ト ラ ン ド


0 0 2



 スラム街へと続く木原地帯では、ウェザーの騎士を背に乗せた8騎の馬機が威風堂々として歩を進めている。
 馬機が一歩また一歩と歩を進める度に、木原地帯に広がる木々の小枝や木の実の砕ける音が軽快に響いていた。

 スラム街へと向かうウェザーの騎士一行とは逆に、スラム街方面からはひと仕事を終えた帰路なのだろうか、徒歩や馬を利用して各々の目的とした地に向かう騎士達の姿や、騎士では無い者達の姿も多く見られた。

 世界各国にはギルドと呼ばれ親しまれている同業組合があるのだが、ここアークシール超帝国はナイトランドと呼ばれる程の騎士人口の多さも手伝って、騎士組合という他国でも滅多にお目に掛かる事の無い職業組合が存在する。
 このすれ違い行く騎士達やそうで無い人々は、そんな騎士組合である〈 ナイトメディア 〉からの依頼で馳せ参じた者達なのである。

 騎士組合と看板を掲げてはいるが、ナイトメディアにおいての様々な依頼には、騎士でなくとも受ける事が可能である案件が多くあり、こうして行き交う者達の中に騎士で無い者が多く見られる理由がそれであった。
 もちろんギルドであるナイトメディアでの依頼の成功報酬は、その依頼内容によっては多額の金銭も絡んで来る為に、騎士である有無に関わらず、ひと括りに誰でも受けられる傭兵稼業だと言ってしまっても良いのかもしれない。
 また、ナイトメディアが定期的に発行している情報機関誌である風物誌ふうぶつし
〈 かざしるべ 〉は、仕事の求人や討伐依頼に関する記事はもちろんの事、ナイトランドでの様々な出来事や催し情報、更にはオカルトやゴシップに至るまでと、ありとあらゆる事柄が掲載されており、人々から絶大な人気を得ている機関誌なのであった。

 スラム街では激しい戦闘でもあったのだろう、血を流し傷付いた者達や、疲労した体を強引に帰路に就かせる者達の姿が、道行く人々の多くに見られた。
 おそらく、この度のナイトメディアからの依頼内容は、ここ数年で急速に、そして膨大に増えている魔鬼オーガの討伐依頼なのだろう。

 そんなひと仕事を終え疲労困憊で重い足取りの者達であったが、自らとは反対にスラム街へと向かう馬機の姿と、その馬上で揺られるウェザーの騎士の知った顔ぶれを目にすると、その瞳に生気を取り戻し輝かせながら感嘆の声を上げる。
 この彼らの反応は至極当然なものであった。
 それもそのはず、サラブレットよりも一回り大きな体を持つ馬機のその佇まいは、まさに荘厳美麗であり、その身体能力もまた他の馬では比較対象にすらならないものなのである。
 スピード、パワー、スタミナという3拍子が高次元において完成された馬であり、取引額が高額なのはもちろんの事、その個体数も大変に少なく希少価値の高い馬なのだ。

 実は馬機は動物分類学的においても、他の馬とは一線を画する存在であり、種として区別した場合には〈 ウマ 〉ではない。
 一言で表すならば、馬機は馬の姿形をした〈 機械生命体 〉である。
 馬機は種としては〈 機巧種 〉と呼ばれる種族であり、この種族の誕生は、多くの種の中でも最も新しいものだと言われているのであった。

 そして、そんな8騎の馬機の背で手綱を取るウェザーの騎士の顔ぶれには、行き交う人々も驚きを隠す事が出来ずに、口々に騎士達の名を囁くのである。

 ウェザーの騎士のいでたちは大きく2種類に分類でき、それはウェザー騎士団の4個騎士隊の内の2個騎士隊のものであった。
 その2個騎士隊というのは、ウェザー騎士団において創設が最も古い蒼天の騎士隊と、そして創設が最も新しい光陰の騎士隊である。

 隊列には特に意味がある訳では無いようであり、各騎士の着用する隊服から見て取れるのは、先頭を行く者が蒼天の騎士であり、その後ろに続く2人が蒼天と光陰の騎士。
 そして、更に後ろが2人の光陰の騎士で、最後尾が3人の蒼天の騎士という縦4列の配列となっている。

 ウェザー騎士団は何かしらの任務に就く場合には、主に各騎士隊単位ではなく、更に騎士隊を3個部隊に分けた各部隊単位で任務に当たる事が常となっていた。
 そのようなウェザー騎士団特有の事情を今回の任務に当て嵌めたのなら、蒼天の騎士が5名、光陰の騎士が3名という騎士隊の枠を超えた編成は、極めて異例なものだと言えるのである。
 しかし、この異例な組み合わせも、聞こえて来る馬上の騎士達の会話を耳にすれば、まったくもって特別な意味などは無い事が聞き取れ、ある1人の騎士による只の気まぐれにより即席で突発的に組まれた編成である事が分かるのであった。

 聞こえて来たのは、戦闘が終息したであろうスラム街に目を凝らしながら、先頭を行き隊列を引く蒼天の騎士の声だった。

「せっかく此処に、こうして〈 ナイトランドの双璧 〉と呼ばれる2人の騎士様が揃っているというのに、どうやら事態は終息しているようだな」

 先頭を行く騎士の言葉は独り言のようでありながらも、直ぐ後ろで馬機に揺られる2人の騎士へと向けられているようである。
 声を発した先頭の騎士の装いは、白を基調とした生地の厚いコートのような服の上に、大空を思わせるように陽の光で淡く青色に輝く鎧を簡易的に身に着けていた。
 この衣装が蒼天の騎士隊の隊服であり、更には隊服の襟や袖の部分の装飾が金色で刺繍されている事から、騎士隊における3人のトップ、3人の指揮官である騎士隊三頭である事が分かった。
 彼は蒼天の騎士隊三頭の一角を担う、騎士隊主席の座に就くボルグス・デッドライドである。

 数々の武勲を上げ英雄・名将と称えられるデッドライドの佇まいからは、懐の広さを感じさせる風格が馬機に揺られながら漂っていた。
 蒼天の騎士隊の騎士隊三頭、デッドライドは騎士隊の指揮官の1人であり、武人としても軍師としても極めて秀でた存在である為に、ウェザー騎士団を代表する騎士の1人として、ナイトランド中にその名が知られていた。
 ウェザー騎士団にも他の騎士団や騎士隊で見られる様に、特権階級である貴族が所属しており、デッドライドはアークシール家に近い家柄の貴族であった。
 そんな位の高い貴族であっても、デッドライドは特権階級に胡坐をかく事などなく、自らの実力だけで今の地位に就き、ウェザー騎士団史上において、最も若くして騎士隊三頭の役職に就いた事でも有名なのである。

 年の頃は30代と言った所であろうか、端正な顔立ちであり、大人の男の色香を醸し出すデッドライドであったが、絶え間なく言い寄って来る数多くの女に現を抜かすわけでもなく、ただ只管に職務に邁進する、まさに騎士の鏡のような存在であった。
 英雄色を好むなんて言葉があるが、意外と本物の英雄というのは色など好まないのかもしれない。
 更にデッドライドに至っては酒を好む事も、賭け事を興じる事もなく、それでいて堅物ではないという、最早、非の打ちどころの無い人物像なのである。

 しばしばデッドライドは、過去に存在したある1人の騎士に例えられる事があった。
 その騎士こそが、今も尚、伝説の騎士として称え続けられ、時の皇帝と共にウェザー騎士団を創設した人物、デルジック・ジュラードである。
「騎士とはジュラードのようにあれ」と、昔からナイトランド中で口にされている言葉があるが、今では「騎士とはデッドライドのようにあれ」と言われる程に、デッドライドは多くの人々から尊敬され敬愛され、人としても騎士としても模範とされる存在となっていた。


 デッドライドの事態終息の見解に、いち早く反応を示したのは、隊列の2列目を行く蒼天の騎士であった。
 騎士が身に纏う隊服へ施された金色の刺繍から、彼もまたデッドライドと同じ騎士隊三頭の一角である事が分かった。
 蒼天三頭である騎士は手綱から右手を伸ばすと、隣に並ぶ馬上の騎士の肩を叩きながら、陽気な調子の声色で声を掛けるのである。

「やったな! エドゥワード! 早々に任務も終了だ! お疲れさん!」

 にこやかに親しみを込めて、バシバシと隣の騎士の左肩を叩く蒼天三頭の騎士。
 しかし、そんな騎士の態度とは対照的に、声を掛けられた騎士は、ゆっくりと眉間に皺を寄せながら目を瞑ると、溜息交じりの不機嫌な口調で答えるのである。

「・・・グロリアス、貴様ぁ・・・ ふざけるなよ!」

 そう吐き捨てるように言葉を発したこの騎士が、稀代の印道術師と呼ばれる光陰の騎士隊三頭の一角を担う騎士隊隊長であり、アークシール皇帝の嫡子。
 騎士の名は、エドゥワード・アークシール、このアークシール超帝国における皇太子である。






001  目次  003




2001-2020 © DIGITALGIA

当ウェブサイトに掲載されている画像・文章など、著作物の転載・複製・改変などの一切を禁止しています。